ユーザー様から頂いたナイフとの出逢いをご紹介致します。
現在、45歳 3人の子持ちです。
随分昔の話ですが、小学校前に祖父の家に行くと軍刀を半分に切って鉈代わりにしたものなどが転がっていましたが、これはナイフとは言えないので除外します。私とナイフの出会いは多分、小学校時代に肥後の守を買った頃だと思います。いつもポケットに入れていて、色々なことに使いました。ただ、肥後の守はブレードがブラブラしてポケットに入れておくと刃が少し出てしまったりで痛い思いをしたこともありました。その後、釣具屋で漁業用マキリ(イカ裂き包丁)を買って、片刃の使い方を覚えましたが、いつの間にかなくしてしまいました。学生になってからは安物の登山ナイフを小遣いで買いましたが、なまくらで刃持ちが悪く使い物
になりませんでした。
大人になってからGサカイのAIDA T&B(この頃はブレードが440Cでした)を買い、その造りの良さ感動した記憶があります。造りの良さから、その後もGサカイのナイフを何本か購入しましたが、これらは今でも大事にしまってあります。この後、しばらくはナイフから遠ざかっていたのですが、37歳ぐらいの頃に友人がシースナイフをほしがっていることもあり、一緒にナイフメイキングにチャレンジしました。この時に作ったナイフも大切にしており、時折使う機会があると引っ張り出しています。 その後は和製刃物に興味が移っていましたが、最近またナイフがほしいと思うことがあります。
このように小さい頃から当たり前に刃物があったので、きっと自分が死ぬまで手許には某かのナイフ
があるのだと思います。
Mさん 平成21年4月25日
8年前にこちらの『ナイフとの出逢い』に父に肥後の守を贈った話を投稿させていただきました。
私の父は無口で頑固ですぐ怒る人間で、私は父が苦手でした。
母とは普通に会話ができるものの、父と会話をする時はいつもどこか緊張していました。
父に贈る肥後の守を買う時、私は同じものを2つ買いました。父に研ぎ方を教えてもらう事で、もう少し父に近づけたらという思いがありました。研ぎ方を教えてもらいながら、父と長い会話をする事ができました。父と打ち解ける事ができた私は同じ頃にスパイダルコのレディバグというナイフを手に入れました。仕事で毎日使っていたカッターナイフをレディバグに変えてみました。
私にとって初めてのロック付きナイフだったレディバグは私にとっては衝撃でした。
こんなに小さいのに、この安心感。この取り回し、使い勝手のよさ。刃物の研ぎ方を教わる前ならば研ぐのが面倒になってカッターでいいやと思っていたかもしれません。
レディバグを大変気に入った私は父にも同じレディバグを実用ナイフ、日常ナイフとして贈ろうと思いました。しかしレディバグは父には似合わないだろうと考え、ジェスターマイカルタを贈りました。
父は2年前に他界し、私の机の中の肥後の守は2つになりました。一つは私が家で使っている、いい味が出てきた肥後の守。もう一つは父が大切にしていた、新品同様のピカピカの肥後の守。刃が磨り減りハンドルが傷だらけのジェスターマイカルタは私のお守りになりました。
息子が小学校に上がったら私の肥後の守を贈ろうと思っています。
バターさん 平成22年2月18日
私の祖父は、若い頃「大陸浪人」であったそうだ。
私にとって優しい楽しい祖父であったが、親類や母などの話ではソリャもー大変な人だったらしい。母に連れられ、祖父母の家に遊びに行くとき、私の楽しみの一つは、祖父の机を漁る事だった。
普通ではない宝物がゴロゴロ出てくるのだから。その中に、スタッグ・ハンドルのナイフがあった。その、ゴロッとした感触のスタッグ・ハンドルは現代的な洗練とは程遠く、棒の様に素っ気ないブレードに手を触れると、祖父はスグに拭いた。触るな、などと言われる事は、一度もなかった。祖父が「虎狩」にも持って行ったナイフだそうだ。
信じられますか…「虎狩」ですョ!スゴイなぁ!!まったく幼かった私に、いろいろな話をしてくれた祖父は、今でも不動のヒーローNo.1です。私とナイフとの幸運な出会いは、憧れに満ちた冒険の物語と共にありました。
とっくに50歳を超え、自分が持っているナイフを整理するよう家内に脅迫され、ヤフオクに出品する私です。内緒で死ぬまで持ってるツモリのナイフを決めかね、結局ゴロゴロ持ち続けるのでしょう…困ったものです。
インディアナ・ジョーンズの孫(もうイイ爺ぃ) 平成23年2月20日
私がナイフと出会ったのは、小学生の時で、一緒に釣りに行った友人がナイフを持っていて、そのナイフを使って藪を切り裂いて釣りのポイントに入っていって、釣り用の袋を破る時も、釣りの餌を切る時も仕掛けを作る時も、そのナイフで作業していました。
すごく羨ましくて、すごくナイフが欲しかったのですが、如何せん子供なので購入する費用がなくいつも友人にナイフを借りて作業していました。
その後、高校生になって、海で素潜りして魚を取る様になってからも、周りの友人や先輩はナイフを使って「魚をさばく」、「魚のうろこを取る」「バーベキューの材料を切る」「箸を作る」等々いろんな作業をしていて、いろいろ教えて貰って、色々な作業が出来る様になりました。
二十歳を超えた辺りからは、いわゆるバックパッカーとして東南アジアを中心に、旅行に明け暮れました。その中で現地の方々や同じバックパッカーの方々とナイフについて、夜遅くまで談義する事もしばしばありました。
皆さん、すごくナイフを大切にしていて、でもお飾りナイフではなくて実用されているので、かなり刀身が減った物もありましたがこれじゃなきゃ駄目だという想いを伝えられる事もしばしばでした。
特にベトナムの山岳民族の家にホームスティさせて頂いた時は現地の方々がご自分で作られたナイフで、庭を走り回っている鶏をしめたり山に生えている野草を取ったり大活躍していました。
そうこうしている内に、結婚して今1児の父親になりました。それからというものの釣りも、キャンプも、旅行も結婚してからは縁遠くなって子育てと仕事に明け暮れる毎日を繰り返すようになりました。
そんな中、このホームページを拝見し、ナイフへの想いがこみ上げて、今までの記憶がフラッシュバックして鼓動が早くなるのを感じました。
先日、ナイフを製作させて頂いて感じたのですが自分で作ると、作っている時から愛着が沸き作ってる最中から、「あれしよう」「これしよう」と完成していないのに、想像が膨らんでいました。製作させて頂いたナイフは、大切に使いこんでいこうと思っています。
あとナイフの、「素晴らしさ」「使い易さ」を周りの人達に(自分の子供にも)伝えていけたらと思っています。
ぶーひーさん 平成23年9月1日
私が最初にナイフに興味を持ったのは高校生の時でした。
どこかの文房具店に飾られていたコンパクトな文房具セットが欲しくて、小遣いをはたいて買ったのですが、その中に片刃の短いナイフが入っていました。
それまで刃物類には興味がありませんでしたが、よく研がれていたその ナイフの切れ味には魅了されてしまいました。 紙が割れるように切れる!しかし無謀にもそのナイフを研ごうとし て、刃をつぶして台無しにしてしまいました……。
それからナイフに魅かれはじめ、大学生のときにBuckやGarberのナイフを何本か買いました。でも研ぎ方がへたくそで、あまり切れ味が良くならなず、結局ほとんど使いませんでした。
それからしばらくして、新宿の加賀屋でMOKIの美しいフォールディングナイフを見かけました。ATS34のブレードで、ハンドルがローズウッドのナイフでした。大学生にとっては高いナイフでしたが、あきらめられずに買ってしまいました。
それから何度も失敗しながら研ぎ方を習得し、20年以上、毎日使いました。アメリカでの10年間の生活にも持って行き、数度の引っ越しでもこのナイフだけはなくすことはありませんでした。
今では子供の自由研究の工作 にも大活躍しています。しかし、かなり研ぎ減りしているのでそろそろ後継を買おうと思っていました。そしていろいろ 調べているうちに、AIDA T&Bに行き着きました。
そういえばこれも昔欲しかったナイフでした。すぐに彫骨ハンドル のものを注文してしまい、先週ナイフが届きました!
閉じている時は無骨に見えますが、刃を開くと、優美な形の ナイフに変貌する。ここに魅力を感じています。注文したVG-10ではなくATS-34のナイフでしたが、研いでみると、 手に持った髪の毛が切れるぐらいのすばらしい刃がつきました。このナイフとも長くつきあえそうな気がしています。
Miso さん 平成23年12月23日
ナイフとの出合いは小学の中学年だったと思う。
私が小さい頃にはカッターナイフが主流で小学生の子供にナイフなどは、あり得ない時代になっていました。
だからこそ子供だった私はナイフの存在が気になりました。
父親が海や山が大好きで自宅の倉庫には、それ用のナイフ、鉈、鎌などが有りまり幼心に危ない物だと思っていましたが、気になる余り倉庫に忍び込みナイフを持ち出し裏山に行き草や木などを切り遊んでいました。
ナイフが有るだけで『探検ごっこ』から本物の探検をしている気分になりました。
そんな事を何度か繰り返しいるいるうに当然父親にバレ、怒られると思ったら『ナイフの正しい使い方を教えてやる』と言われてナイフの持ち方、切り方、研ぎ方などを教わりました。
それから数日後、父親と一緒に釣りに出かけ釣った魚をその場でサバキ、水筒から取り出した氷でメ、刺身で食べる機会が有りました。子供の私はそんな事が出来る父親よりも、何でもできるナイフに改めて心がトキメキました。帰り道にナイフの話ばかりしていたら父親から急に『大事にしろよ』と言われその時、父親が使っていたナイフを貰いました。
大人になり自分で釣りやキャンプをする機会が多く、ナイフの存在はとても大事な物です。 今でもそのナイフは切れ味も良く現役で使ってます。なんのナイフか気になり調べてみたらガーバー製のシースナイフでした。
Kさん 平成25年2月20日
私とナイフの出会いは、幼稚園の頃でした。祖父が「お前が大きくなったら、これをやる」といって
見せられたフォールディングナイフでした。
柄が木製で柄の両端に真鍮色の金属があるタイプでした。 祖父は八十八歳を目前にして亡くなりました。小生も成人したので祖父の形見のナイフを探したのですが、どうしても見つかりません。
そして、月日は流れました。ネット上で祖父の遺言のナイフと同型のナイフをみつけました。缶のケースにはいった大小のウインチェスターのナイフでした。しかも缶の絵が祖父と孫という小生の関係に一致していました。運命を感じたので死ぬ思いで落札しました。
60歳の還暦祝いの記念に祖父との約束がついに果たされたのです。ナイフを受け取って、感謝して満足して歓喜しました。そして、ナイフの魅力に取りつかれました。もともと料理が好きで包丁は多数所有して いたのですが、還暦記念にナイフを収集したくなりました。
パキスタン製のマチェットに光が神々しく反射して神秘的なものを感じました。生死与奪という言葉を想起しました。ナイフを所有することは責任をともなうことです。何よりも忍耐。刃の下に心です。どんな理不尽なことがあっても、我慢に辛抱です。
土佐の二代義光が打ったへの字型の剣鉈を手にいれたときは歓喜しました。こんなに美しい素晴しい物が人の手によって作り出せるものかと思いました。インド正規軍のセレモニー用の大型ククリナイフは手でピカピカに磨きあげて抱いて寝ました。
本物のウイグルの英吉砂(インギサル)ナイフは、見れば見るほど、素晴らしいです。まさに手仕事の極みです。精緻さとアバウトさ、つまり人間味を備えています。これは、機械では出せない味です。
色々包丁はもっていますが、よく使うのはKAIの関の孫六とG SAKAIです。G SAKAIの
新聞紙が吸い込まれる様に切れるあまりの切れ味のよさに刺激されて堺孝行の包丁を集めました。これもよく切れます。G SAKAIが堺製造と勘違いしていました。G SAKAIが関にあることは、後で知りました。
特殊なナイフを着想しました。サミットカーボン製のナイフです。 フルタング構造である程度の重みがあり、軽快に使用できる軽さとバランスを備えたコンポジット複合ナイフです。
ナイフには切れるナイフと切れないナイフの二種類しかありません。人間も 切れる人と切れない人の二種類しかありません。これが私のナイフとの出会いです。
Sさん 平成27年2月16日
注:サミットとは金属のネットを内部に含む耐熱セラミック構造で、カーボンとは炭素繊維強化プラスチックのことで表面に炭素繊維のネット構造が見られとても美しい強い航空機や宇宙船で使用される構造です。
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